望む世界に向けて、また一歩踏み出したこと。【Dreamark Weblog更新しました】
☆前回の記事はこちら
DreamarkのWeblogのほうを更新しました^^
昨日は立春ということで、ひとつの季節の区切り、節目ということで、
望む世界に向けてまた一歩、自分なりに今できることを踏み出しました。
内容は、読んでいただければわかると思うのですが、国際NGO団体への毎月の寄付を家族で行うことにしました。
そしてこれはここから、続きの記事で書いていくことになると思いますが…
わたしは今までずっと、以前のブログを書き、個人セッションの仕事を行っていたとき、、、
「もっともっと!」と、いつも思って、やっていました。
せっかくの今生の人生ならば、
もっと素晴らしい経験を!と。
もっと素晴らしい世界を!と。
それはある意味で、素晴らしい向上心だったのかも、しれません。
でも、もっと、もっと、まだまだ、と、自分を鼓舞し、
たくさんのことを学び、吸収して、ノートを書き、自分磨きに励み、
上を上を目指して、
その先は…?
その「もっともっと」は、
一体、いつになったら、終わることができるのか…?
お金持ちと、言われる方々、
成功者と、言われる方々、
今までたくさん出会ってきました。
そしてその人達は皆、こぞって、
「まずは自分が豊かになること。そこにまずは集中し、とことん自己成長すること」と、おっしゃられました。
でも、それは…
自分が、「すでに今、もう申し分のないほどに、豊かである」と。。。
自分自身の心の内で、認めないことには、
永遠に、終わることがないのです。
わたしがエジプトに行って、気がついたこと、それは、
日本人であるだけで、そして
この日本で生まれ、育っているだけで、
すでにもう、有り余るほどに豊かで、十分な人生である、
ということ。。。
わたしという人間が、コップであるのならば、
その
「ありがたい」
「豊かだ」
という感覚が、満ちあふれて、
あふれて、あふれて、こぼれてしまいそうなほどに。。。
そんな感覚は、物質や得た経験によって、得られるものじゃなく。。。
自分が「事実、そうである」と、
「感じ取れる力」なのだと。
そのことを、エジプトはわたしに教えてくれました。
十分、すでに満たされているからこそ、
「もう、良いじゃないか」と、思いました。
必死に、自分のところに、集めることを、フォーカスしなくても。
そこに、躍起になり、こだわらなくても。
もし、「損」だと、みなされることだとしても。
もし、「そんなことをしている余裕はないだろう」と、みなされることだとしても。
「わたしは、十分だと思ったし、したい、と思った。」
そう思えることが、一番の、豊かさだったと。
わたしは、そう、感じています。
今、本当に、幸せだと、思っています。
実際の、寄付をする直前の怖さや葛藤なども、Weblogで続きを綴れればと、思います。
今日は、ここまで^^
もっと素晴らしい世界を