目の前の奇跡(動画あり)

今日は娘と夫のジョーさんと、家族で海岸沿いの公園へお散歩に行ってきました。

(動画はジョーさんが携帯から撮ってくれました。音声は入っていません)

 

長らくみんなで公園に座って海を眺めていて、そのうち娘は眠りこけてしまい、そのあとも、

ジョーさんと二人で、やっぱり静かに、海を眺めていました。

 

とても心地よかったです。

明日は雨の予報ですが、お天気の良い日はなるだけ海岸まで散歩に出よう、と夫婦で話していました。

 

古いブログを終了してから最初は、ジョーさんの仕事をサポートするブログを立ち上げて、また精力的に活動していこうと思っていました。

 

でも、日中は娘とともに過ごしながら、夜中、丹精込めてサイトを制作し続けるジョーさんを横目に見やりながら、

「支える」ということの意味が、根本的に変わったような気がしました。

 

表に出て何か仕事を一緒にしようとすることだけが支えじゃなく、

たとえばわたしが元気でいること、心穏やかに娘と過ごしていること、わたしや娘が笑顔でいること、

そういうことが、ジョーさんが一番求めている「支え(応援)」なのじゃないかな、と思いました。

 

そこからはたぶん人生で初めてというくらい「何もしない」日々がはじまりました。

もちろんコミュニティの存在はありましたし、家事や娘のお世話はありつつ、それでもそこにがっつりと自分の仕事を入れていたときに比べれば本当に「何もしていない」に等しい日々を得ました。

お世話といっても娘はまだしつけ等行う時期ではないので、それこそ「一緒に笑って一緒に遊んでいる」だけの日々。

 

わたしの人生の中に、とても豊かな時間が生まれました。

 

そしてもちろん、生まれたときから、いえ、生まれる前から本当に可愛い愛おしいと思っていた娘ですが、このときを得てからというもの

今までのそれとは比較にならないほど、愛おしさが増しました。

 

日中、娘を抱きしめ頬ずりするとき、一緒にお話するとき、

夜、横になって、隣に寝ている娘の寝顔を見つめるとき、

娘の存在が奇跡そのものに感じます。

 

こんなに無限に湧き出て尽きない気持ちが自分の中にあるものなのかと、

未だに驚きの気持ちでいっぱいになります。

 

この目の前の奇跡、豊かさに気がつくために今までのことがあったのだと、

とてもそう感じます。

 

そんな自分に気がつくと、もうすべてが、今までと同じようにはできないし、同じようにすべきときではないんだな、とそれだけはハッキリと、自分の中に感じています。