グラデーションのように

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昨日の友人の晴れ舞台は、もうひとつ、大事なことを思い出させてくれました。

それは、

 

人にはあらゆる側面(個性)がある

 

ということです。

 

その、わたしのお友達の彼女は、もともととても綺麗な女性なのですが、

ふだんはとても控えめで、可愛らしくて、とても人前に出ていくようなタイプではないのです。

 

でも、昨日彼女が挑戦したことは、着物のファッションショーのモデルで、

そこでの彼女は、とても堂々と、凛として美しく、気高い誇りを感じさせてくれました。

 

本人は、あとで、「とても緊張していた」と教えてくれましたが、それでも、

わたしが見たその姿は、いつもの彼女とは、

まるで別人のよう。

 

でも、それも彼女の一つの側面なのです。

 

いつもの彼女が本当の彼女なのか?

昨日の堂々たる姿が本当の彼女なのか?と、

 

そんなふうに、「いずれか」に、寄せてしまう必要はないのです。

 

いつもの奥ゆかしい、控えめな可愛らしい彼女も、

昨日の、凛として堂々たる美しさを放っていた彼女も、

 

どちらも彼女の素晴らしい一個性。

 

もし、彼女が仮に、昨日の経験を通して、

 

「本当はいつもこんなふうに、堂々としたわたしで生きていきたい」

「ふだんのような、控えめな自分は、わたしは本当は好きじゃない」

 

もし仮にそんなふうに思っていたとしても、

その悩みすら、ひとつの輝ける個性。

 

スポットライトを浴びて、堂々と振る舞うことのできる彼女も、

普段、控えめで、いつも自分をまっすぐ表現できるわけではない部分がある彼女も、

 

等しく素晴らしい存在です。

 

わたしは過去、それを勘違いしていた時期があったのです。

 

自分の感じていること、いわゆるところの「本音」を

人に見せられない自分は、本当の自分じゃない、と、

 

もっと、いつも、誰の前でも本音で生きていられること、そんなことが

「自分を生きていること」だと、

勘違いしていました。

 

そうではなくて、自分の感じていることを表現できないこともある、

人に合わせることもある、

それがわたしであり、わたしという個性そのものの素晴らしさだと、いうこと。

 

 

人はグラデーションのように、あらゆる側面を自分の中に持っています。

それを無難に、ひとつにまとめてしまわなくて良いのです。

 

まとまりのない、いろいろな彩り、輝きを、そのまま、

ただそのままにして、存在していればいい。

生きていけばいい。

 

強さも、弱さも、あっていい。

弱さ、と感じているところ、

それはもしかしたら、弱さですら、ないのかもしれないのですから。

 

否定すべき部分はひとつもない。

すべて愛おしい、「唯一無二のあなた」

なのだと。

 

友人が、素晴らしい挑戦を通じて思い出させてくれた大切なこと。

 

あなたもどうか、そのことを

忘れないでいてください。