分離から統合へ

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wholenewworld.hatenablog.com

 

個人のInstagramに少しアップしましたが、昨日一昨日と、急遽思い立って、神奈川の実家に娘と帰省してきました。

今住んでいる伊豆の自宅のほうが、両親にとっても慣れ親しんだ生まれ故郷ということもあり、

いつもいつも、こちらに来てもらうことに甘えており、

結婚してからはおろか、里帰り出産もせずに、数年ぶりの実家でした。

じいじばあば(わたしの両親)とはもう何度も会っているものの

娘にとっては、はじめての「母親の育った家」でした。

 

行くことよりも、来てもらうほうが、楽だから。

両親とは、伊豆の家でいつも会っているし、わざわざ帰ることもないから。

 

自分では、長年育った家に足を踏み入れないことをそんなふうに捉えていましたが、

今回帰ってみてわかったことは、

「その頃のことをあまり思い出したくない」

 

そんなふうに、無意識にどこかで思っていたんだ、ということに気が付きました。

 

 

 

過去のブログでも書いているとおり、

自分の心のままに生きることを大切にするようになってからは、

両親とはもうなんのわだかまりもないですし、

今は、旦那さんもいて、可愛い娘もいて、

本当に幸せです。

 

けれど、生まれの家族と過ごした実家での10代の頃のことは、

今でもやはりどこかで

「良い思い出ではない」

としてしまっていたこと。

 

どこかで、「幸せな今」と「そうでなかった昔」というように、

自分の中で切り離して捉えていたこと。

 

でも、帰省してみてはっきりと感じた、

そうではなかったということ。

 

あの頃を、

今と切り分けて、別物にして、無かったことにしてしまうのではなく。

 

すべて、今のわたしを作り上げてくれている、大切なときだった、ということ。

 

その頃の自分も、その頃の時代も。

 

「今」と同じように、受けとめ、抱きしめて、生きていく。

 

そしてそうしてみてみれば、なんてたくさんの愛を

あの頃も、今も。

変わらず、注がれて、慈しまれて、いたのだろう、と。

 

そのことに、気づくために、そして、

分離から、統合へ。

 

そのために、今、このタイミングで、数年ぶりに育ちの家に帰ることになったのだ、と。

 

その次のステージの、新しいわたしに生まれ変わるために、

それは、

記憶の中にマイナスに映る過去を、そしてその当時の自分を、

切り分け、切り捨て、無かったことにして生きる、

 

そういうことではなく。

 

どんな時代の、どんなかつてのわたしも、体験も、

取り残さない。

置き去りに、していかない。

 

手を広げて、受け入れ、抱きしめる。

包み込む。

 

そうして、「今」のわたしに、統合する。

 

分離させて進もうとする、「新しさ」よりも、

ずっとずっと、力強い、

本当のパワーを。

 

取り戻すために、わたしがわたし自身に、そして、見守り続けてくれる存在に。

 

呼ばれ、戻ることができたこと。

 

2020年の幕開けまで、あと、1ヶ月。

 

目には見えない部分で、淡々と、粛々と。

新しい時代を、新しいわたし自身を。

 

迎える準備が、進んでいます。